
山崎建築が造られるまでと、山崎建築ができること
それは遠い遠い昔の記憶。
幼稚園から小学校に上がる頃、
自宅を建て替えることになりました。
母に連れられた私が見たのは、現場で働いている大工さんたちの姿。
「でーーれすげーーに!!!」
高い場所に格子を設置する様子。
天井の作業の様子。
いまでも自分が見た光景が思い出せるくらいそれは鮮烈な記憶となり、
「大工になりたい!!」
その瞬間から夢は決まりました。
私はもともと木工工作やプラモデルなど、“イメージを形にする”ことが好きでした。
イメージし、工夫を凝らし、形にし、出来上がったものを眺める。
出来上がるまでのすべての瞬間が楽しく、中でも最高に嬉しいのは自分が作ったものを見て誰かが笑顔になってくれた瞬間です。
私は大工になる夢を胸に、建築科のある工業高校を志望し、そのまま建築の道へ進みました。
二十歳の頃には
「自分でマイホームを建てたい」
自分自身の夢と仕事の夢が重なりました。
「住む人の何十年後の健康が損なわれない自然素材の家造りをしたい」
「家造りのはじめから終わりまでをサポートできる一貫施工のスタイルでやっていきたい」
大工になりたいという夢も更に具体的に進化。
その夢を実現するため必要な技術と知識の獲得のために20年を費やしました。
先ほども話しましたが、物造りにおけるいちばん嬉しい瞬間は自分の作ったものを見てくれた人の笑顔を見る瞬間。
だからこそ、私はその喜びに対して一切の妥協をしたくないという信念でこれまでの時間を積み上げて来ました。
山崎建築の提供する一貫施工のスタイルでは、私がはじまりから終わりまで携わることで、外注にかかる費用などを削ることができます。
自然素材の家のデメリットに挙げられる材料費と難易度の高い技術にかかる金額の高額さをその部分で相殺することで、ハイクオリティな価値をローコストで提供する仕組みを実現。
また、家は建てるだけではなく、価値観や幸せの在り方が多様化している現代においては家を持つ事に対しても色々な選択肢があります。
新築で購入する、空き家を購入してリフォーム、リノベーションをする。
建て売りを購入する。
受け継がれてきた場所を引き継いで暮らす。
しかし、どの選択肢においても家が建ったらその後の生活を家の形に合わせてしなければいけないということはありません。
家族の変化に合わせてその場所である家も変化していくことで快適さを維持することができます。
子どもさんが小さなうちは寝たせたまま離れた場所に洗濯物を干しに行くのも心配なもの。
そんな時は、室内に物干しを設置し、お母さんのハラハラを解消してあげることを考えてみてください。それが子どもさんの安全の確保にもなります。
また、子どもさんがひとりでお風呂に入れるようになるには何年もかかります。
そんなとき、
「脱衣場に棚を設置してみたらどうだろう?」
是非そんなふうに、いまの暮らしの中のストレスを解決できないかと想像していただきたいと思います。
そういう小さな不便を解消するリフォームから、もう少し大きな工事もお受けできます。
例えば、子どもさんがお孫さんを連れて戻ってきた時に一緒に暮らせるように増築するなど。
もし面積が充分であれば、いまの家のまま生活を振り分けるために玄関や水回りを増やしたり、仕切りをつけたりはずしたりする。
そういった、家族が増えたことに対応する工事や、
「夫婦ふたりきりだからあんまり広いスペースがあっても落ち着かないし、年齢も重ねて足腰も弱ってきたから、二階に上がるのも雪降ろしも大変だね」
という希望にお応えできる、二階部分を削り(減築)、平屋にして屋根を傾斜させる工事も可能です。
私の提供したい家造りとは、住む人が快適で幸せを感じられる家造り。
「話そう、造ろう、暮らそう。」
をコンセプトに掲げているのも、しっかりした話し合いをもとに暮らす人の希望を形にしたいと思っているからです。
「山ちゃんちょっと聞いてよ」
と、ざっくばらんに悩みや価格について相談をしていただきたいし、それに対して最適な提案ができる存在でありたい。
そう思っています。
どんな些細な困りごともまずは一度相談してください。
施主様のイメージが形となった瞬間の笑顔を見ること。
その笑顔がずっと続く場所造りのサポートができること。
それが私のいちばんの喜びです。
「山ちゃん聞いてーーー!!」
お電話お待ちしています♬
口下手ですがそこはご容赦ください(笑)。仕事を見ていただければ施主様への想いはきっと伝わるだろうと思っております。
山崎建築代表 山崎芳裕